吉祥寺、初上陸。
住みたい街ランキングなどで上位に挙がる吉祥寺。おしゃれな街に、井の頭公園。聞き知ってはいたが、今までふ〜んと感じだった。
ところが。
サイダーガールというバンドに「メランコリー」という曲がある。
そのPVは、池間夏海さん演じる女の子が、友達と踊りながら商店街を練り歩くというものである。
そして、何を隠そうそのロケ地が吉祥寺なのである。
今回は、いわゆる聖地巡礼の旅に来たということになる。
↑吉祥寺駅の店で買ったワッフル
商店街は異様な混みようだった。人、人、人。
休日だったこともあったのだろう。
本当は、PVに出てくる通りをその通り撮って歩きたかったのだが、人が多いため断念。
商店街の雰囲気を味わうにとどめた。
商店街を抜けた後は、井の頭公園へ。
代々木公園のような広大な公園を想像していたが、思ったよりこじんまりしている。その方が簡単に一周できていいのだろう。
池に浮かぶ島に神社があるという、面白いつくり。
また、池を渡って、道路を越えると、動物園があった。しかし、私が行った時には休園中😢
短時間で、またコロナのために楽しみきれない部分があったが、吉祥寺という街の雰囲気は分かったかな?
カール・ポパーの反逆。検証主義から反証主義へ。
前回の続き。『科学哲学への招待』の第10章を参考にしています。
論理実証主義の隆盛する中で、それに反発を持ち、克服しようとするものが現れた。その一人が、カール・ポパーである。
1.帰納法の否定
帰納法とは、個別的命題から普遍的命題を導き出す論証である。(p115)
あのリンゴは赤い。このリンゴも赤い。
→ すべてのリンゴは赤い。
帰納法は、私たちが日常の中で普通に用いている推論方法でありながら、その正しさを証明することは困難を極める。上の例で言えば、赤いリンゴが100個、1000個、あるいは10,000個あったとしても、青リンゴが一つあれば、「すべてのリンゴは赤い」という命題は偽になってしまう。
ポパーはこの点を重んじ、科学的方法の中から、不確実な帰納法を取り除こうと考えた。
2.反証主義
そこで、科学の確実性を高めるために彼が提唱したのが「反証」の概念である。
命題Aが正しいならば、命題Bは正しい。
命題Bは正しくない。
ゆえに、命題Aは正しくない。
これは、正しい推論である。すなわち、「正しい」ことを証明することは難しくても、「誤りである」ことを証明するのは容易い。この「誤りであることを証明」するのが反証である。先に挙げたリンゴの例でも、青いリンゴが1つあるだけで、「すべてのリンゴは赤い、という命題は間違っている」ことが証明できる。
ここから、ポパーは科学とは、仮説を提起し、それを反証していくプロセスであると捉える。
南禅寺に行ったことありますか?
こんなご時世ですが、旅行に行ってきました。行き先は京都です。
……行きませんでした。そうした有名どころは修学旅行やその後の一人旅でも行ってるので、今回はちょっとマイナーなところ中心かなと思います。
東京駅で新幹線に乗り、京都へ。1泊2日の弾丸旅行です。
朝出発し、京都駅に昼に着きました。早速腹ごしらえです。
京都駅構内の「松葉」です。にしんそばが有名なそうで。私はにしんそばだけだと足りなそうだったので、ご飯を付けました。
マイナーなところ中心と言いつつ、最初の目的地は三十三間堂へ。修学旅行でも行ったんですけどね。
あいにく、三十三間堂ではほとんど写真が撮れませんでした。そもそも、肝心の観音像は撮影禁止ですからね。
修学旅行で来た時と、印象が違うなぁ〜と思ってたんですが、令和3年にリニューアルしたみたいです。(寺でリニューアルというのか分かりませんが)
特に、お庭が整備されたようで、一見の価値があると思います。
次回からは、さらにマイナーな旅が続きます。
サウナタウン下北沢にやってきた2
いつぞやの続き。
最初に入ったのは、お〜いお茶サウナ。オレンジ色のテントで、定員8人というだけあって、広い。そして、広いからなのか、温度もマイルドだった。ぬるめの温度でじっくり蒸されるのはこれはこれで気持ちいい。テントサウナには時計がないので、時間を気にせずじっくりと過ごした。
さて、このサウナタウン、きちんと水風呂があるのがすごい。水風呂がなく、シャワーだけというサウナも結構ある中、屋外なのに水風呂を用意するとは大したもんだ。温度も16.5℃と程よい。(外気の寒さを考えるとちょっと低めかもだけど。)
さらに、ととのいスペースにも力を入れている。リクライニングのベンチが3台あり、他のサウナでは取り合いになるところが、ここでは難なく寝転びにありつけた。寝転びながらのととのいは、やはり格別である。
特筆すべきは、しきじサウナだ。「しきじ」は静岡にある温浴施設で、サウナーにとっては聖地のようなもの。恥ずかしながら、私はしきじを実際に訪れたことはないのだが、ここ下北沢サウナタウンでは、しきじ名物、薬草サウナが楽しめる。サウナに入ると、薬草の香りが嗅覚を刺激する。さらに、ベンチにはしきじのサウナマットが敷かれていて、気分だけでもしきじを味わうことができる。本家と比べることはできないが、十分にその良さを感じることができたのでは?と思う。(もちろんいずれは本家に行ってみたいが)
じっくりととのった後、120分の時間制限に間に合うよう、サウナを出た。支払いを終えると、カウンターの前で売られているサウナタウングッズが間に入った。有名どころのサウナに行っても、滅多にグッズなど買わない私だが、今回ばかりは買ってしまった。
……下北沢サウナタウンのタオル。
期間限定の施設なので、いい記念になったかなと思う。
論理実証主義がやろうとしたこと
野家啓一『科学哲学への招待』の第9章を読んで、まとめてみました。
L.ヴィトゲンシュタインの著した「論理哲学論考」では、論理的に成立しうる命題だけが哲学の命題たり得ると示された。
逆に言えば、「幸福とは何か」とか、「人生の意味とは何か」とか、いかにも哲学っぽいけど、論理的に答えが出せないものは、すべて"命題もどき"である、というわけだ。
その過激な思想をさらに推し進めようとしたのが論理実証主義である。
論理実証主義者が依ってたつのが、
「検証可能性」と「統一科学」である。
1.検証可能性とは
検証可能性とは、文字通り、科学的に検証可能かどうか、ということである。「幸福とは何か」とか「人生の意味は何か」といった命題は、検証のしようがない。検証のしようがないのだったら、科学的に解明のしようがない。だから、これらの命題は科学的には無意味である。つまり、検証可能性がないものは科学ではないと論理実証主義者は主張する。
2.統一科学
すべての科学を同じ方法論で統一しようという試みが統一科学である。論理実証主義者によれば、最も"科学的"な方法論を採っているのは物理学で、すべての科学は、物理学的な方法論に還元されなければならないとした。一見すると物理学から離れている学問も(例えば歴史学)、突き詰めれば物理学的方法論で説明できるというのだ。(歴史の因果を物理法則に求めるとか)。
しかしながら、これらの試みは成功しなかった。
まず、1の検証可能性については、例えば「すべての〇〇は△△である」のような命題(全称命題)を検証することは不可能だ。今後起こりうるすべての〇〇を検証することはできない。
また、2の試みにしても、学問のすべてを統一するという構造はあまりにも途方がなく、早々に頓挫してしまった。
かくして、論理実証主義は次第に下火になっていったそう。
サウナタウン下北沢に行ってきた。
平日昼間に下北沢駅前へ。駅前のイベントスペース("空き地")には、サウナタウン下北沢なるものが設営されている。3月19日までやってるとのこと。
15:10ごろにふらっと行くと、予約の有無を聞かれた。もしかして、予約がないと入れないのかしら。フロントの人が中に確認してくれて、15:30からなら入れるとのこと。それなら、待とう。
空き地のベンチでさっき買ったコーヒーをすする。
15:30。再びフロントへ。改めて一通り説明を受ける。男性は90分2,500円だが、今は無料で30分延長の120分制とのこと。有難い有難い。中のトイレが調子悪いらしいので、外で済ませてから中へ。
中へ入ると、ロッカーとシャワールーム。持ってきた水着に着替える。レンタルもやっているそうだが、今回は持参した。
シャワーは肌をいたわる水なんだとか。シャワールームにはボディーソープは付いていたが、シャンプーは見当たらなかった。
体を浄めた後は、念願のサウナへ。ドアから外に出る。
……寒い。
見渡すと、何基かのテントが並んでいる。とりあえず、並んでいるクロックス?のサンダルを履いた。凍えながら途方に暮れていると、係の人が声をかけてくれた。
「ご利用は初めてですか?」
そうだ、と伝え、説明を聞く。なんでも、それぞれのテントで別のアロマを使っているらしい。見たところ1基は清掃中で使えなそうだが、その他に4基のテントが並んでいる。つまり、4種類のサウナが楽しめるということか。これはなかなかオトク。
サウナは、それぞれむぎ茶のアロマ、ほうじ茶、お〜いお茶(!)、そして静岡にある「しきじ」の薬草サウナだった。なんでお茶ばっかり、と思ったが、どうやら伊藤園がスポンサー?なのかな。
肝心の中身の話はまた機会があれば。